富山市民病院

その他

先日、富山大学におじゃました際、富山市民病院で、手術の見学をさせていただきました。

富山大学医学部教授の吉田先生のご紹介で、呼吸器血管外科センター呼吸器外科部長であられる土岐義紀先生をご紹介いただきました。

土岐先生は、胸部外科の世界では非常にご高名な先生であります。そのような先生の手術を見学できる機会はめったにありませんので、ぜひにと無理を言って、見学させていただいたのでした。

胸部の手術は、産婦人科の私が普段みることはほとんどありません。

腹部の手術ですと、私たちもたまに外科の先生にお願いして、一緒に手術に入ってもらうことがありますが、胸部となりますと昔学生の頃にポリクリで見たくらいです。

手術はラパロスコープを使った非常に侵襲性の少ない手術であり、高度な技術と熟練とが必要とされるものでした。

私がいるスンブヤでは、このような高度な医療機器を使用した手術は望むべくもないのですが、内視鏡カメラでみる術野は非常に明瞭で、胸部の解剖がよくわかり、大変勉強になりました。

手技のみごとさに感銘を受けたのはもちろんでありますが、さらに印象的だったのは執刀をなさった土岐先生のお人柄であります。

当日、手術を補佐する看護師さんは、あまり経験のない人だったらしく、なかなかうまくいきません。

緊迫した手術中にもかかわらず、それでもけっして声を荒げることなく、先生は淡々と手術をするのであります。

私たち産婦人科は、特に産科の手術ですと、出血を止めるために迅速な処置が求められます。それゆえ、看護師さんがすこしでもまごついていると、イラっときたり、ついつい声を荒げてしまうものです。

出血を止める処置はどんな手術でも迅速に行わなければなりません。

とくに術野がせまい、胸部外科の手術ではなおさらだと思われます。

そんな時でさえ、先生は、むしろその看護師さんに向かって、やさしい言葉をかけていたのであります。

先日Youtubeの動画を見ていたら、円覚寺という鎌倉にあるお寺の和尚さんがこんな話をしていました。

「愛語」というお話です。

お釈迦さまの言葉だそうですが、「自分を苦しめず、他人を害しない言葉のみを語れ。これこそ、実に善く説かれた言葉なのである。」

まるで母親が赤ん坊を慈しむように、人々に言葉をかけなさい、とのことでした。

自分と敵対するような人、自分に害を与える人にこそ、このような言葉をつかいなさい、と。

そして、やさしく思いやりのある言葉をかけていくと、世の中を変えていく力がある、ということでした。

煩悩にまみれた私のような人間には、とても実践できそうにない教えです。

人間は自分がわからないものに対して、恐怖を覚えます。

遠く離れたアフリカの地にいると、人々の慣習から考え方など何かなら何まで日本と全く異なっており、理解できないことばかりです。

とくにこちらではわからない病気が多いものですから、アフリカに来た当初は、いつもビクビクしながら診療にあたっていました。

そのようなことは今でこそ少なくなってきましたが、それでも自分の小心さゆえに、患者さんや周囲の人々にたいしてかなりきつい態度をとっていたと思うのです。

現地の人々が使う言葉自体はわからないので、英語を使うしかないのですが、はたして自分が思いやりのある言葉をかけていたかと言われると、とてもそんなことはなかったのであります。

今回、土岐先生の手術をみさせていただき、先生その人のなにげない手術中のしぐさに、自分の至らなさを思い知ったのでした。

聞けば土岐先生のご実家はお寺だとのこと。

もしかしたらこのお釈迦さまの言葉を土岐先生は実践なさっていたのかもしれません。

このようなすばらしい先生とのご縁をいただいたことの不思議さに、感謝するのであります。

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