アイゥオーラおばさま

本の紹介

この名前を聞いて、ピンときた人はあまりいないかもしれません。

じつは、このおばさまは、あの有名な「はてしない物語」”ネバーエンディングストーリー”にでてくるのです。

私と同年代の方は、あの印象的な映画を思い出すのではないでしょうか。

少年が竜にのって空を飛んでいる、あの場面です。

映画は1985年公開ですから、もう35年前!!! 確かCGも使われているという、当時としては最先端の映画でしたね。

ところで、今日はこの物語にでてくる、ちょっとマイナーな登場人物であるアイゥオーラおばさまについて、おはなししたいと思います。

はてしない物語 下 ミヒャエル・エンデ作 上田真市而子/佐藤真理子 訳 岩波少年文庫

この名前もかなり、発音しずらいですよね。

はてしない物語のストーリーは、非常に有名ですので、知っている方も多いと思います。

いじめられっこのバスチアン少年が、ある古本屋で不思議な本「ネバーエンデイlングストーリー」と出会うところから始まります。

バスチアン少年はこの本の不思議な魅力に取り憑かれてしまい、万引きしてします。そして、学校の屋根裏に忍び込んで読み始めます。

読み進めるうちに、いつのまにか本の世界の住人になっていたバスチアン少年は、この本の中の世界「フェンタージェン」を救うことを託されたアトレイユとともに冒険の旅にでます。フェンタージェンは「無」の力により滅びようとしていたのです。

フェンタージェンの王女様「幼ごころの君」の導きで、異世界にきたバスチアンは、なんでものぞみの力をもつことができるようになります

このあたり、最近の日本のアニメでよく見られる「異世界もの」とよく似てますよね。

現実世界では平凡で冴えない人生だけど、異世界いったら主人公だぜ、みたいな。

まず最初にバスチアンが欲しかった力は、勇者のような強さでした。

次に欲しかったのは、賢者の賢さ、です。

そして強大な力を手に入れたバスチアンが最後に望んだのは、権力でした。

でも、バスチアンはすべての力の源が自分の「思い出」と交換だったなんて知らずに、強大なパワーを使いまくっていたのです。

結局、バスチアンは自分がフェンタージェンの王様になろうとして、失敗してしまいます。すべての思い出もなくして。

最後の戦いに敗れたバスチアンが、身も心もボロボロになって、自分のお父さんとお母さんの名前さえも忘れて、やっとたどり着いたのが、森の奥深くにあるアイゥオーラおばさまの家でした。

頬が赤くふっくらとして、健康でみずみずしい感じがして、その人自身、どこかりんごを思わせた。・・・背が高く、どこか堂々としていた。つばの広い帽子をかぶっていて、その帽子には、花や実がいっぱいついていた。服もきれいな色の花柄の布地だった。ところがしばらく眺めているうちに、それもやはり、本物の葉や花や実だということに気づいた。

はてしない物語 下 ミヒャエル・エンデ作 上田真市而子/佐藤真理子 訳 岩波少年文庫

そんなアイゥオーラおばさまは、バスチアン少年のことを何も聞かずに、暖かくもてなします。

毎日、食べ物はアイゥオーラおばさまが、自分の帽子の上の果物をもいで用意してくれます。暖かいベッドもあります。

バスチアンは特になにをするわけでもなく、おばさまの優しい愛につつまれて過ごします。いくらだらだら過ごしていても、おばさまは何もいいません。

ある時バスチアン少年がおばさまにいいます。

自分が破壊してきたもの、失ってしまったもののこと。そして、友人のアトレーユを殺してしまったかもしれないこと。

「ぼく、みんなまちがったことをしてしまった」

アイゥオーラおばさまは、こう言います。

「いいえ、私はそうはおもわないわ。あなたは望みの道を歩いてきたの。この道はけっしてまっすぐではないのよ。あなたも大きなまわりみちをしたけれど、でもそれがあなたの道だったの。・・・そこへ通じる道なら、どれも、結局は正しい道だったのよ。」

はてしない物語 下 ミヒャエル・エンデ作 上田真市而子/佐藤真理子 訳 岩波少年文庫

それを聞くと、バスチアンはいきなり泣き出した。なぜなのか、自分でもわからなかった。

すすりあげ、しゃくりあげ、あとからあとから、とめどもなく涙がながれた。アイゥオーラおばさまはバスチアンをやさしく膝に抱き上げ、やさしくやさしくなでてくれた。バスチアンはおばさまの胸の花の中に顔を埋めて、思う存分泣いた。泣いて泣いて、疲れるまで泣いた。

はてしない物語 下 ミヒャエル・エンデ作 上田真市而子/佐藤真理子 訳 岩波少年文庫

バスチアンはその後も、アイゥオーラおばさまに甘やかされて過ごします。

おばさまはけっして、バスチアンにあれこれ言いません。だまって甘やかすだけです。

すると、満ち足りたバスチアンは、自分がほんとうは何を望んでいたのか、を次第に意識しはじめます。

バスチアンが本当に望んだもの、それは、「自分も愛することができるようになりたい、という憧れ」でした。

でも、どうやったらそれができるようになるのか。

自分のほんとうの望みをみつけたバスチアンは、アイゥオーラおばさまの元から旅立たねばなりませんでした。

バスチアンが尋ねます「どこへいったらいいの?」

「あなたの最後の望みがみちびいてくれます。」と、おばさまが言います。

決して、「どこへ行けば答えがみつかる」とか「だれにきけば答えがみつかる」とか言わないところが、このお話しのすごいところです。

最近はやりの「これだけやれば金持ちになれる」だとか「株はこれさえやれば儲かります」みたいな内容のうすいYoutube動画とは大違いですね。

翌朝、アイゥオーラおばさまの家を出発しようと、おばさまを訪ねてみると。。。

アイゥオーラおばさまは、葉も花も実もすっかり落ちてしまっていた。目を閉じ、黒々と、枯れ木のように見えた。

はてしない物語 下 ミヒャエル・エンデ作 上田真市而子/佐藤真理子 訳 岩波少年文庫

しばらく佇んでいたバスチアンですが、おばさまが目を開けることはありませんでした。

おばさまがバスチアンに与えてた果物の実は、おばさま自身の体だったのですね。

アイゥオーラおばさまの愛は、母の愛とは、こういうものかと思わせてくれます。自分の命と引き換えにお産して、からだの一部をお乳として与える。母はすごいですね。

実は、この話はこれから最後の場面になって、さらに深い含蓄に富んだ内容になっていきます。

アイゥオーラおばさまの家を出て、バスチアンが導かれてたどり着いたのは、「絵」の採掘坑でした。そこで盲目の坑夫ヨルと出会います。

エンデの作品は児童文学に分類されていますが、大人こそ読んでみる価値あり、だと思います。

この話は、またこんど。

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